MaSaYAの日記

1日1日を大切に過ごす為にその日の出来事を書き残したい

【人生の転機】

今から2年前に会社を辞めた。

理由は一つだけじゃなくて会社にも不満があったし、同じ会社に10年もいると毎日やる事もそんなに変わらず毎朝同じ時間に起きて会社に行き、土曜の夜には仲間と同じような事を語りながら飲み歩き日曜の朝は二日酔いで昼に起きてダラダラ過ごして月曜を迎える。

貰ってる給料には不満が全く無かったけどそれでも何で生きてるのか?やりがりは毎年少しずつ失われていった。 そんな時に、母親から父親が膠原病になった事を聞かされた。

父は昔から自営で植木屋を営んでおり、僕もその関係で東京の植木屋で仕事をしていた。植木屋になった当時は独立する気や父親の跡を継いで自分で一人親方として生きていくつもりは全く無かった。

父の膠原病の症状は指の関節が壊れる病。簡単に説明すると治らないリウマチみたいなもん。植木屋にとって手の関節が壊れて指が動かなくなる事は仕事が出来なくなるって事。

僕は会社を辞めて父の仕事を手伝う事にして会社を辞めて実家に帰った。僕はあくまで親孝行のつもりだった。

でも世の中そんなに甘くは無かった。親と仕事をするって事を甘く見てた。僕もある程度は我慢してたつもりだけど親も我慢してたと思う。 このままだとお互いの関係が悪くなるから僕は僕で独立してお互いの大変な時に手伝い合うって事にした。

はいそうですか!独立します!ジャンジャン仕事が舞い込みます!って事は無い。

仕事を取るって事は現場で仕事をする数倍大変だ。巷に植木屋は溢れてる。大手の造園会社や某ホームセンターやクイクックガーデンみたいな会社、値段が安いシルバー人材派遣センターなどライバルは沢山だ。

仕事の質などは他の造園会社に負けないくらい腕は良いつもりだけど、それでも仕事を取れない事には腕を奮う場所もない。営業のスキルなんて職人一筋でやってた僕は無いに等しい。あるのは人懐っこい笑顔だけだw

まぁ、冗談はさておき僕は仕事を取る方法を自分でチラシを作りそれを印刷して自分で配るって方法にした。まずはそんなに経費が嵩まない方法を取った。

チラシを2000枚ほど配るとその月と次の月ぐらい仕事に困らないぐらい仕事は大体取れるけどチラシの効果も長くは持たないから本当にマメに頑張らないといけない。言う分には簡単そうに思うかも知れないけど自分で実践すると大変さは分かると思う。

今、生活が困るほど稼げない訳では無いけどそれでも会社に勤めてた時の方が凄く楽だった。 逆に辞めて独立してやったからこそ会社に勤められた事に関して凄く感謝の気持ちが出てきた。

長くなったけど最後に一言書きたいと思う。

僕が会社を辞めたのは両親のせいじゃない。あくまで当時の僕は会社に不満を持っていて辞める理由を探していたのかもしれない。また、独立する事になったとしてもやっていける自信があったんだと思う。 会社勤めにはその苦労があるし、自営業にはその苦労がある。 結局隣の芝生は青く見えるだけで自分の芝生の青さに気づく事が出来ないと何やっても上手くはいかないと思う。 これから先どーなるか?不安は沢山あるけど細く長くやっていけたらなと思っています。

終わり!

#わたしの転機

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